ここ最近、かつてより力を持つ経営者がいなくなったという話を聞くことが多くなりました。以前は、日本の代表的な企業の社長の顔や名前は、多くの人が知っていました。しかし、現在の代表的な企業の社長の顔や名前を知っているという人はどのくらいいるでしょうか。そこで今回は、平成を代表する経営者とビジネスの変遷についてご紹介していきましょう。
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平成前半(1980年後半~90年代)に活躍した経営者
まずは、平成前半(1980年後半~90年代)に活躍した経営者にはどんな人物がいるのか、この頃のビジネスはどのようなものだったのか見ていきましょう。
【金融機関や重厚長大産業は全盛期だった】
1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、昭和が終わりを告げました。そして同じ日の午後に、小渕恵三官房長官が平成という元号を発表し、新しい時代がスタートしました。この頃は、日本の経済は絶好調で、1989年の平均株価は3万8915円となり、地価も上がっていきました。
ソニーがコロンビア映画を買収し、三菱地所がロックフェラーセンターを買収したのもこの頃です。また、この時代の経済誌には、金融機関や重厚長大企業の経営者たちがよく出ていて、強気な発言を繰り返していました。
住友銀行の磯田一郎や野村證券の田淵節也と田淵義久、トヨタ自動車の豊田章一郎、ソニーの盛田昭夫、新日鉄の斎藤英四郎、日産自動車の久米豊といった大物経営者が現れたのもこの時代で、最後の大物経営者時代だということもできるでしょう。90年に入ってからは株価は下がっていきましたが、地価は上がり続けていたため、気分が高揚した状態が続いていきました。
【バブル崩壊が大きな転機になる】
1990年には、4月に陽神戸三井銀行が誕生し、ここから10数年ほどかけて行われる都銀の再編がスタートします。
そして10月には、「住銀の天皇」と呼ばれていた磯田がイトマン事件の責任を取るために辞任します。この2つの出来事が、金融機関の不良債権問題を大きくすることになってしまったのです。そして、ここから10年以上日本の経済を蝕んでいくことになります。
1991年になると上がり続けていた地価も下落し始め、完全にバブルが崩壊してしまいます。さらに円高も進んでいったため、自動車などの輸出産業にも陰りが見えてきました。金融機関の不良債権処理も進まず、山一証券の倒産や北海道拓殖銀行の破綻、長銀と日債銀の国有化など暗雲が立ち込めるような出来事が続いていきます。
このような状態は、日本の経済が低迷気に突入したことも表していて、これまで日本の経済を支えてきた重厚長大企業の経営者の姿もかすんでしまいました。
【1990年代半ばからは孫正義の時代へと変化する】
日本の経済が良くない方向へと進んでいく中、現在のソフトバンクグループ(SBG)社長である孫正義がスーパースターのように誕生しました。
攻めの姿勢を忘れない経営スタイルで企業の買収を行い、2000年には新市場ナスダック・ジャパン(現ジャスダック)を設立し、常に話題を提供し続けてきたのです。そのため、孫正義は一世を風靡した人物だと言えるでしょう。そして孫正義に刺激され、楽天の三木谷浩史社長などIT起業家がどんどん誕生するようになっていきました。
孫正義以外にも、1990年代を代表する経営者はいます。それは、トヨタの奥田碩とソニーの出井伸之です。奥田碩は、利益よりもシェアを重要視すると明言し、40%のシェアを撮りに行きました。また出井伸之は、ソニーをデジタル化の方向へと向けていった人物です。
この2人の社長は、会社の方向性を変えることによって、活躍の道を切り開いていったということになります。そして2人の活躍により、「経営者こそが最大の広告塔。経営者には発信力が必要だ」と言われるようになりました。
平成中期~後半(~2000年代)に活躍した経営者
続いては、平成中期~後半(~2000年代)に活躍した経営者にはどんな人物がいるのか、この頃のビジネスはどのようなものだったのか、見ていきましょう。
【ITベンチャーの申し子として異彩を放つ堀江貴文】
2001年にITバブルが崩壊し、たくさんのITベンチャー企業が消えていきました。そんな荒波をくぐる抜けることができた企業は大きく成長することになります。GMOインターネットの社長である熊谷正寿やサイバーエージェントの社長である藤田晋は、それを代表だと言えるでしょう。
その中でも特に異彩を放っていた人物がいます。それが、ライブドラの元社長である堀江貴文です。堀江貴文が有名になったのは、2004年に近鉄バッファローズの買収に名乗りを上げたという出来事です。これは叶うことはありませんでしたが、これまでの考え方を覆すような発言や行動に多くの若者の支持を集めました。
しかし、2006年に証券取引法違反容疑で逮捕されてしまい、経営者人生も終わりを告げました。堀江貴文がベンチャー経営者に与えた影響はとても大きく、出る杭は打たれてしまうという印象を植え付けることにもなります。そのためこれ以降は、優等生のような発言をする若手経営者が増えていくことになるのです。
稲盛和夫と永守重信は平成という時代を通じて存在感を残した
経営者の中には、平成という時代でも存在感を残した人物もいます。特に、稲盛和夫と永守重信は大きな存在感を残した人物だと言えるでしょう。
稲盛和夫は、2000年代に入ってから注目を集めるようになった京セラの創業者です。1959年に京セラを設立し、1984年には第二電電(現KDDI)を設立します。どちらも昭和時代に設立されているため、平成に入ってからは経営手腕よりも経営哲学の方が注目されていました。
しかし、2010年に日本航空が破綻した時に会長に就任し、経営の第一線に舞い戻っていきます。会社更生法適用から2年で2000億円の利益を出すまでに回復させました。このことがきっかけになり、稲盛和夫の経営者としての手腕はまだ衰えていないということを世間に知らしめたのです。
日本電産の会長である永守重信も稲盛和夫と同じように、企業再生で高い評価を得ています。永守重信はこれまでにおよそ60社を買収し、全て成功しています。M&Aを成長戦略に掲げて成功を収めてきたのです。M&Aをしても成果が出ないというケースも少なくないので、永守重信の手腕は特筆すべきものだと言えるでしょう。
企業経営に夢を与えるスター経営者・前澤友作
前澤友作は、ここ最近注目されている経営者で、ZOZOの社長を務めている人物です。目立ちたがりな性格なので、高級車を次々に購入したり、有名な女優との交際を隠すことなくSNSにアップしたりすることで注目度が高まっています。また、プロ野球参入や月旅行への参加など派手な行動をする経営者だというイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
そんな前澤友作は、「出る杭は打たれるが出過ぎれば打たれない」ということを自分自身で表現しているとも言えます。中には批判的な意見をする人もいますが、企業経営に夢を与えるという意味では評価されるべき人物ではないでしょうか。
平成時代の日本経済は、初めはバブルで裕福だったものの、後に弾けてしまい非常に苦しい時代を送ることになりました。経営者にとっても、かなり辛く苦しい時代だったと考えられます。しかし、そんな時代だからこそ新しい価値観を持った経営者が生まれました。令和の時代には、そのような新し価値観を持つ経営者がさらなる活躍を見せるのではないかと考えられます。