子育て中の母親を応援したいという気持ちから起業を決めた森光太郎氏は、現在も多くの母親、そしてその子どもたちを色々な角度から支えています。
森氏というと、子育て中の母親に向けた情報誌を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
現在、森氏は、育児情報誌の作成を中心として、その他にも様々な事業を展開しています。
この記事では、そんな森氏の生い立ちや性格、挫折についてのエピソードに加え、森氏の現在の業務内容についても詳しく解説します。
森氏について知りたい方はもちろん、リトル・ママやエンファムについて知りたい方はぜひ最後までご覧ください。

森光太郎氏ってどんな人?

今でこそ一企業の代表取締役として活躍している森氏ですが、波乱万丈な人生を歩んでいたと言われています。
まずは、そんな森氏の生い立ちについて、また生い立ちから見えてくる学生時代の様子や性格について見ていきましょう。

森氏の壮絶な生い立ちとは?

森氏は、九州最大の都市がある福岡県で誕生しました。
祖父、父と続く医者の家に生まれた森氏でしたが、森氏が小学6年生になると両親の仲が悪化し、別居状態になってしまいます。
森氏は母親に引き取られ、医師であった父とは離ればなれになりました。
とはいえ、「医者の家に生まれたからには」と、医者になる決意をし、福岡県立修猷館高等学校を卒業後も、医者を目指して勉学に励んでいたようです。
しかし、2年間浪人をして結果が振るわなかったことから、医者の夢を諦め、日本大学生産工学部に進学することになります。
あっという間に大学生活も終わりに差し掛かり、就職活動の時期がやってきます。
夢や、やりたいことがなかった森氏は、ありとあらゆる企業に、手あたり次第履歴書を送ったと言います。
書いた履歴書は100通を超え、努力の甲斐あって、ジュエリー会社に入社することができました。
ジュエリー会社では、デザイナーのそばに付き、営業を行っていました。
業界ならではの展示会で商品を売り捌くのが主な仕事でしたが、森氏にとってこの仕事は天職と言えるほど向いていたのです。
順調に思えていた社会人としての生活ですが、入社して1年経ったある日、森氏はリストラされてしまいます。
森氏はその後、ジュエリー会社からの退職金で広告デザインの専門学校に入学します。
退職金とはいえ約1年分だけだったため、入学金を支払ったことによって、資金はほとんどゼロの状態です。そこで学校生活と並行して居酒屋でバイトをすることにしました。
森氏は、バイト先で多くの人情に触れたことをきっかけに、さらなる努力が必要だと考え始めます。
しかし、専門学校を卒業した後に入社したデザイン事務所も、タイミングが悪かったためか、クビになってしまうのです。
その頃の森氏は、すでに頑張る気力もお金も無くなっていたため、地元福岡に帰る選択をしました。それが森氏を変えるきっかけとなります。

どんな学生だった?

医者を目指して猛勉強していたという事実から、努力家な学生であったことが伺えます。
しかし、医者を諦めて日本大学生産工学部に進学した後は、これまでの反動からかサークル活動などを中心に行い、自由奔放に過ごしたと語っています。

性格は?

ジュエリー会社を辞めてすぐに、今までの仕事とは全く関係のないデザイン専門学校への入学を決めてしまう点を見ると、かなり突飛な性格に感じる方も多いのではないでしょうか。
しかし、そのような思い切った選択がなければ、現在の森氏は存在しないでしょう。
また、ジュエリー会社での活躍ぶりから分かるように、コミュニケーション能力が高いことが分かります。
森氏はこのことについて、ナンパや合コンでの経験が活かされたと語っていますが、高いコミュニケーション能力はそう簡単に手に入れられるものではありません。
元々高いポテンシャルを持っていたのが、学生時代に花開いたのではないでしょうか。

森光太郎氏の苦難の下積み時代について

森氏は福岡に帰った後も、たくさん苦労することになります。
しかし、どの困難も今の森氏を作るために必要だったのではないでしょうか。
ここからは、福岡に帰った後の森氏について見ていきましょう。

森氏が経験した挫折、苦労とは?

森氏は福岡に帰った後、いくつもの挫折を経験し、人生のドン底であるにも関わらずしっかりと就職先を見つけ、働きます。
入社したのは広告代理店で、森氏が担当したのは制作兼営業でした。
今まで全く興味のなかった育児関連の仕事でしたが、会社が行うその事業は森氏にとって、とても面白いものだったのです。
しかし手ごたえを感じなかった会社側はその事業を終了させようとします。
そこで森氏は声を上げ、自分自身で1からプロジェクトを行うことになったのです。
しかし、ここでも困難が立ちはだかります。
努力して進めてきたプロジェクトが、会社によって再び潰されそうになってしまうのです。
結局森氏と会社は揉めてしまい、森氏は会社を後にすることになります。

会社を後にした森氏はどんな行動を取った?

森氏は広告代理店を辞めたことをきっかけに、新しい会社を立ち上げる決意をします。
すると、森氏を中心として頑張っていた部署の11人のうち9人がついてきてくれることになったのです。
この事実は森氏の起業をさらに後押しし、火をつけることとなりました。

森氏は会社員時代に何を獲得した?

森氏は広告代理店で「現場目線」の大切さを知りました。
知識がないからこそ、現場に足を運び、現場の声を聴きながらプロジェクトを進めたことが功を奏したと言えます。
森氏はなんと、約100ヵ所もの現場を回ったそうです
意思を貫き通そうとする強さがなければ、ついてきてくれる仲間もいなかったはずです。
意思を貫き通し、会社を辞める決断をしたことも、会社員時代の成功体験と言えるでしょう。

育児支援事業「リトル・ママ」のスタート、起業体験談について

森氏は約20年間、リトル・ママの代表取締役CEOとして育児に関する事業を行ってきました。
ここでは、起業後20年を経て、リトル・ママがどのように変化していくのかを見ていきます。

エンファムと森光太郎氏にはどんな関係がある?

森氏は2001年に「リトル・ママ」を設立し、育児情報誌の作成を中心に、いろいろな事業を手掛けてきました。
2020年に20回目の創立記念日を迎えたリトル・ママは、「株式会社エンファム」という社名に変更され、再スタートすることになったのです。

エンファム社内での森光太郎氏の役割とは?

リトル・ママで代表取締役CEOを務めていた森氏ですが、株式会社エンファムに社名変更をした後も代表取締役CEOを担っています。
主に事業や地域の拡大に努め、エンファムのさらなる成長を図っていくようです。

エンファムはどんな事業を展開していく?

再スタートを果たしたエンファムは、リトル・ママとして力を入れてきたメディア事業だけでなく、子どもに関わるエンターテインメントやエデュケーションなどの事業にも力を入れていくようです。
もちろん、今まで続けてきたファミリーイベントや子育て情報交流サイトもより強化していき、さらなる成長を図っていくでしょう。

エンファムはこれからどう変わっていくのか

森氏は、子どもの母親の支援を第一に考えていましたが、創立20年を迎え、母親に加えて子どもの未来も応援する必要があるとして、社名変更に踏み切ったと言います。
起業時は独身であった森氏ですが、現在は1児の父となり、より一層機転が利く育児支援を提供できるようになりました。
今後はリトル・ママ改めエンファムとして、子育てに関わる全ての人を応援するための事業を数多く展開していく予定のようです。

まとめ

  • 森氏は多くの挫折を繰り返して這い上がってきた努力家である
  • 挫折の中で学んだことも多く、それは今の事業に活かされている
  • 森氏が代表取締役CEOとして立ち上げた「リトル・ママ」は「株式会社エンファム」に生まれ変わった

根が真面目で努力家であった森氏は、遊びに熱中していた4年間に起こったことすらも学びとして人生に活かしてきました。
森氏の生い立ちや苦労を見ていると、人生で起こる出来事すべてに意味があるということが分かります。
今後もエンファムの代表取締役CEOとして、さらなる活躍が期待できるのではないでしょうか。